自己紹介文【アート系の人がマーケティングに200万以上かけちゃった話】

 

みなさんこんにちは!あきよねこです。(*’ω’*)
初めまして。よろしくお願いいたします。

ドッグランで即描サービス(10~20分で犬の似顔絵をする)
提供中のあきよねこ※2022年あたり現在はやってない

 

簡単な経歴と実績です☺

・地元の高校を卒業後
上京して東京の外国語専門学校の英国留学科へ入学・卒業。
・イギリスはロンドンにある
アート&デザインカレッジ・ファインアート基礎課程修了。帰国後、
・大阪芸術大学 キャラクター造形学科 4年制過程卒業。
ゼミは首席で卒業。
他、通信制の絵画専攻の勉強もしました。

・沖縄生まれ→東京→イギリス→大阪→帰国して現在沖縄にいます(‘ω’)

依頼実績
・個人依頼による絵本「森のダンスホール/原作:旺礼」の作画担当/
https://x.gd/QiegO

・医療解説本の挿絵担当:「あら! まあ! 楽になった 痛み和らぎ 病い軽減 これからは予防医療」
https://x.gd/23H5B

・商業施設内 内装/遊戯機械デザイン:那覇空港 あしびーにょ※現在は閉店

・犬、猫のペットの似顔絵受注作品が10点程
・ドッグランにて速描スケッチ 50点以上
アイコン作成やホームページの挿絵へ50点程納品:現在クラウドワークスでは案件はとっておりません:
※ラウドワークスで案件を頂いた案件はクライアントのご要望/著作権引き渡し済のためURLはお伝えできません。申し訳ございません。

 

以上が簡単な経歴と最近の実績(実績は有料の物のみ記載)です。

私はアートガチ勢ですが、あなたにアートを教える人ではないです。

…で、なに?アートしかしてないのに
ビジネスする人って大丈夫なの?  

アートする人がビジネスなんて、
専門で稼げないからってだけですか?

学校に行けたお前の自慢話を聞きたいんじゃねーんだ
こっちは。と思っていただいて構いません。

 

実はこんなに学校に通っていた私。
今頃たくさん絵の仕事を
やっていてハッピーな人生じゃないか?
と想像されるかもしれませんが…

 

私は自分が思ったより人生が
うまく好転しなかったんです・・

 

私は沢山絵の事について色んな学校で勉強してきました。
それこそ、通信で勉強したり、留学もさせてもらいました。

 

ありとあらゆる角度から絵に向き合ってきた人間です。

 

幸運にも、あれこれ勉強したい事は
両親には惜しみなく学ばせてもらった私。
もちろん、夢も当然絵に関わって生きていきたい。
そう思っていました。
だけど…

 

アレ?おかしいな。

 

絵の事をたくさん勉強するのはいいけど
卒業したら絵でどうやって働いていけばいいの?

 

学生の時は、一生懸命、学業に励んで
よい成績を収める。それが仕事でした。

 

でも、学校を卒業して…そう、そのまま画家、絵描きになる。

なんて思い通りの人生は用意されてはいなかったんです。

 

主な作品で掲載している漫画。こちらはビジネスなので小出しにするだけにします。

 

多分あなたはこう思うかもしれません。

「え?そんなに学校に行ったんだから絵で食べて生きてるんでしょ?」

もしかしたら、こう思う方もいらっしゃるかも知れません。

「当たり前じゃん。そりゃあ絵でどうやって食っていくんだよ」

「卒業したら絵を描くのは終わり。さぁ、
会社に入って会社のために朝から晩まで働きなさい。
そうして稼ぐのが人生だよ」

 

なんで、誰も教えてくれなかったんだろう?
そして私は何故気づかなかったんだろう。

 

当時大学を卒業し私は、すっかり社会にとって需要のない
学費だけ食いつぶした人間になっていました。
首席で卒業した割には行先がない…

できるのは絵を描く事だけ。

「お前がちゃんと稼いでくれると思った。
だから大学に出したのに」

そう両親から言われてしまいました。
家に居場所がなく、どうしようと
気が狂うほど焦った時期がありました。

私自身は美術界にはなんのコネも人脈もありません。

 

ええー?OBもOGの繋がりもないの?と、思うかもしれません。
ちなみに美術を専攻していた絵を描いていた同僚たちは
今でも絵を描いているのでしょうか?

 

わかりません。

 

彼等とも繋がってはいないのです。
行きたい学校に通わせてもらって
有意義な人生かと想像するでしょうが

 

私には絵から離れざるを得ない時期があったので、
絵を描いていない時期がありましたから
ずっと絵を描いていた。という事でもなかったのです。

この資本主義社会の中で
一人孤高でいても、

また絵を描こう
そのまえにお金をなんとかしよう
となんとか奮い立って
やっとこさ今に至るのが現在の私です。

★—————————☆
大学卒業後の進路が
行き先暗雲すぎる…
★—————————-☆

 

私は、技術ばかりを学んできて
「売る」事を考えていませんでした。

 

当時は、技術さえしっかり足固めしていれば、
大学の先生の言う事に従えば
仕事なんてホイホイあるだろうと。

 

いやしかし、仕事にありつけそうなきっかけは
あるにはあったとは思います。

 

当時、まだ現在のようにネットが
あまり普及していなかった頃、

 

イラストをストックするサイトに
イラストを載せていたら
「是非うちのエステサロンで
使いたいから売ってくれ」
と電話がかかってきました。

 

今では考えられませんよね。

 

漫画を描いていたので
出版社に持ち込んだら
担当になってくれる方がいてくださったり

 

大阪は繁華街ビル内に事務所を持つ
経営者の方の目に留まって
私の作品を一式購入したいと
言ってくださる方がいらっしゃったり

 

仕事先で面倒を見てくださったかたに
行きつけの飲み屋に、店内に絵を
飾りませんか?とお声かけを頂き、
その絵がなんと売れたり・・・

 

小さいけれど、こうやって思い返して見ると
正直とりあえず反応がよかった方ではないか?

 

いや、お前は何をしている?
と客観的に見て本当にそう思います。

 

ああ、あの頃…コツコツ焦らずに
地味でもいいから周りと比較したり
結果を出すことに躍起になっていなければ
漫画界のヒカ〇ンになれてたかも
しれないのに…(なんて…)

 

もはや繋がりゼロ。。。。

 

と本当に私自身で自分の人生が
こんなにも思い通りにならないものなんだと
思わざるを得ません。

 

多分、縁がもしかしたら薄いのかと
思ってしまうくらいです。
「運が悪い」なんて
そんな見えない物のせいにするなんて
ダサいと。自分が一番よくわかっています。

 

文章で実績を書くと
意外と色々やってきてるな。と
思うのですが、

 

上記の出来事は
年単位でスポット依頼がくる程度
でしたので継続的に
絵がウケたという訳ではなかったんです。

 

絵で経済を回す事が本望だった私は
大分絶望の一途をたどります。

 

 

★—————————-☆
人間関係やこの社会でどうやって
生きて行けばいいか
摂食障害になるほど鬼悩んだ。
★—————————-☆

 

当時、大阪の大学に入学して間もない頃、
食べては吐くを繰り返すようになっていました。

 

ストレスで無性に甘いものが食べたくなって
特に菓子パンを買い込んでは一気に食べて
自分で自分の喉に手を突っ込んで
吐く事を繰り返していました。

 

それが当時は人間関係との悩みに繋がっているとは
わからなかったのですが
今となってはそれが原因だったと思います。
鬱だと自分で気づかず、そのまま
ずるずると同じ行為が続きました。

 

私は自分が自分で嫌になるほど
プライドが高いくせにとーってもビビりでした。
人に嫌われる事が何より怖くて

 

目の前の一人一人から認めてもらわないと
気が済まないような、欲求不満に見舞われていて
とても苦しかった事を覚えています。

 

だから、先生達の話は有意義であった一方
どこか大変苦痛でした。

 

その言葉に絶対応えなくてはと
そうしたら夢は叶うからと信じていたのです。

 

両親も私を応援してくれていたので
絶対応えなくては、と意気込んでいました。
お金は山ほど稼いで
家は豪邸を建てて
自分にかけてくれた物を全部、
いや倍倍倍返ししたい気持ちでいっぱいでした。

 

だから周りの生徒たちを押しのけて
課題提出率、授業出席率100パーセントでした。

 

※あっ 押しのけてというのは
喧嘩した訳ではなく…「無理難題な課題」を提出したのは
私一人だった。という時があったという事です。

 

早く結果を出さないといけないと思っていました。

 

大阪の芸術大学に通い始めた時点で
私の学費は裕に1000万円を超えていたからです。

 

他の生徒達のようにちんたら学校生活を
送っている暇なんてないと思っていました。

 

だから、クラスメイトが飲み会や友達同士で
ワイワイ楽しんでいる間、

 

時間が足りないのではないか。と
思わせるような提出物も
私は絶対提出していました。

 

しなしながら、結果、自分が何かしら
大きい仕事に恵まれて自身の
経済を回すという事もできず、

 

人気のイラストレーターだの
画家だの、漫画家だのに
なれないでいた自分が
もう本当に、本当に許せませんでした。

 

こう思い返すとかなり恥ずかしい所がありますよね。
「誰か認めてよ!」
っていう承認欲求の塊でした。

 

気持ち悪いですよね。
20代だったから許されたのかな?笑

 

でも当時は吐くほど苦しくてしかたなかったんです。

 

認めてくれない=私の存在がない

って思ってました。

周りからすると
だいぶヤンデレです。

★—————————-☆
結果が出ない、
頼るものがない苦しみ
★—————————-☆

 

 

いや親に頼ってるじゃん。と思いますよね。
確かに経済的な独立はまだまだでしたから
それは、頼らざるを得ませんでした。

 

親も私に
「学生はお金の事は気にしてはいけない。
学業に励みなさい。」
と応援してくれました。

 

精神面ではホームシックもなく
独り暮らしだからと、だらけてしまう
事もなく、常に自分を律していました。

 

だって、親に頼んで学校に通わせてもらったわけですから
自己管理とよい成績を納める事は必須です。

 

しかしながら実は留学生活を
1年半で引き上げた私は家では居場所がありませんでした。

「居場所がない」という事についてですが、
留学はとてもお金がかかります。

確かに私は入学できた大学で
基礎課程は修了できたものの、
1年半だけでは実は留学は短すぎます。

 

語学というのも軽く3~5年は現地に滞在しないと
ネイティブのように扱う事はできないと思います。

 

【※3ヶ月で英語はできるよという広告も
ありはしますが、どうでしょうね。

現地の人のように英語が扱え、現地で働き、家を構え
車が必要なら持ち、もし結婚したら
子どもを育て、教育を受けさせることができますか?】

 

上に少し書きましたが
私はプライドが高いので
失敗を恐れてうまくコミュニケーションが
取れない自分を自分で許せませんでした。

 

ついでに、私はロンドン中の
美術館という美術館を巡って絵画を観ても
何も感動しない日々に陥っていました。

 

無感情です。
いつの間にか枕を涙で濡らして
引きこもる生活になってしまっていました。

 

絵を描く事で
絵を観る事でなんの意味があるのか?
という窮地に陥ってしまっていました。

 

不思議ですよね。
だって芸術留学って順風満帆なイメージありませんか?
だけど専門分野に進めば進むほど
壁に出会うものです。

 

留学生活では語学と絵の2方向で
壁にぶつかっていたのですが、

 

それを相談できる人は一人もいませんでした。
親に相談はしてみましたが
理解してもらえませんでした。

 

いや、相談できる友達は多分いました。

 

でも、泣き言は一切言わない。甘えない。
頼らない。相談しない。自立して
早く一人前になるんだ。と、元来のひとりでできるもん

魂が燃え盛っていた私が、誰に泣きつけるでしょうか?
当時仲良くしてくれた、ブラジル人の友達に
わんわん泣いて話をすればよかったのに。

一番遊んでくれた韓国人のあの子に
抱きつけばよかったのに。

 

しませんでした。

 

そうして私は一人で決めたんです。

 

一旦、日本に帰って出直さないとダメだ…。
そんな状況を親は許せなかったと思います。

 

せっかく海外に行ったのに。
せっかく多額のお金を出したのに

 

ああ、こいつは諦めたんだ。

と。

思われました。

だから親にはもうこれ以上
頼れないと思いました。

やろうかやめようかやろうかやめようかやろうかやろうかやろうかろうか…
やっぱりやーめた!そんなくだらねー私の人生は
飛ぶか飛ばないかの跳び箱に似ている

人生を大きく動かす出来事

 

私は大阪にいた時、同じく地元から
大阪に移り住んでいた友達から
宗教の誘いがあったんです。

 

それが大きな始まりでした。
あ、補足ですが私は
これを読んでくださっているあなたを
勧誘したりするつもりもありませんし、
もう繋がりはないと言っておきます。

 

私はプライドが高いという反面
誰の言葉も信じやすいという
二極端な所が何故かあります。

 

特に友達や先生等
関わる一人一人を大事にしたい。
そう思ってしまう所があります。

 

いいように聞こえますが
見境ない所があったのでアホです。
初めて会う人とも警戒心がないし
セールスされたら話は聞くし
人の話を断らないという人間でも
ありました。

 

そういう部分もあったから
かもしれません。

 

私の思い通りに行かない人生は
人間関係で躓きが多い事が原因である事が
わかっていたので
実はそれについて、深く知りたいとも
想ってはいました。

 

だからでしょうか、
まずは一旦絵を置いて、
宗教に身を置く事になった時期が
あったんです。

 

自分の好きな事/やりたい事は
自分という精神を正して
精神的に独立してからにしよう。

 

もう、承認欲求に追い込まれて
体を壊すのは嫌だ…

 

自意識過剰にさいなまれて
心が安定しないのは嫌だ…

 

自己中心過ぎて
傲慢に生きる生き方ももう
続かない…

 

だから、やりたい事は
後回しにしよう。

 

そう、思ってしまっていました。

 

気付けば5年以上経っていた。

 

上記に描きましたが
暫く絵から離れていたのは
宗教が関係していましたし

 

自分の精神的不安定さが原因でした…

 

私の狂った承認欲求である
認めてもらえないと傷つくプライドの高さで
追い詰められ

そんな自分を変えられるならと思っていました。
いや、それでも描けるだろうと思うじゃないですか。

でもですね…

そもそも自分が素晴らしい人間であるならば
人間関係に躓きはしないだろうし

人に認められないと納得いかないという
そんなに小さくて
自己肯定感を他人任せにする様な
稚拙で幼稚な煩悩で苦しむがはずがないと。

そんな人間が描いた物は
汚れているんだと、そのように思い始めて
絵からは離れざるを得ませんでした。

 

両親からは今まで学校に通わせてもらった
学費も時間も、今までのキャリアを
捨てるかのようだったでしょう。

 

積み上げた物を一旦据え置きするほど
私は生きる事に対してとてもとても絶望的でした。

 

承認欲求に枯渇した人間の苦しさは
分からない人には分からないのです。

 

だから、ネット上で「私を見て!」
「フォロワーが減った!」という嘆きを
私は心底理解できます。

 

しかしその枯渇は
どんなにフォロワー数が増えても
永遠に潤う事はありません。

 

フォロワーを追いかけた所で
何もないんですがね…。

 

2019年
突然家族が亡くなりました。

 

地元の母から急に電話が入りました。

お父さんが死んでしまったと。

急いで帰りました。

でも…もう父と話をすることは
できませんでした。

突然の事故でした。

高校を卒業してから
専門学校に通って一年半。
留学して海外で一人で暮らして
一年半。

 

地元から離れて、
大阪で絵を描いて自立したい夢を
追い続けてから10年。

 

・・・・・くらい前だった
かも知れません。

母の前でしたから泣く事もしませんでしたし
理解できなかったんだと思います。

 

虚無感半端ない再スタート

 

ちなみに宗教との関わりは

家族が亡くなってからは消滅…

大阪から離れました。

元々、人間関係、語学、
絵で足踏みしている最中に
親から蔑まれる目で見られ
さらに、自分の生き方に悩んだ末
親を亡くしてしまった。

 

宗教的な事ももう手を引く事に。

元々、親をとても心配させてしまって
どうしもようない罪悪感で

胸が張り裂けそうでした。

私はポッカリ心に穴が空いたようでした。

母も私が悩みの種でしょう。

「お前がいたから家は不幸になった」と。

生命保険を解約してまで

大学に通わせてくれた事を私は知りませんでした。

 

お前が美大にいかなければ
家を改装できたか
ベンツが買えたのに…

 

お前が美大に行かなければ
おとうさんとおかあさんは
自分のやりたい事ができたのに

 

夢を実現できない私は
疲弊してしまい。こんな事も思っていました。

 

「おかあさん、私はお金を持ってくる事ができない
人間なので、誰か稼ぎのいい子供を見つけてその人と
養子縁組でもして、家を建ててもらって

旅行や行きたい所に連れて行って
貰える子どもと一緒になったらいいんじゃないか」と

 

縁を切って

内臓でも売ったら

 

少しはお金になるかも?…
でも、臓器売買ってね…
二束三文にしかならないんだって…

 

いやいや
腎臓だって肝臓だって
必要だからついているんであって

 

なかったら病気になって死ぬ…
死ぬ…
ぶつぶつ…

 

タヒぬ…

 

空虚しかありませんでした。

 

死ぬという選択は
私には絶対絶対できません。

 

せめてもの救いかはわかりませんが

 

宗教に身を寄せていた時は
自殺をしても
苦しみが終わる事はないという
学びが、私を変な薬や飛び降りから
守ってくれたと思います。

 

「誰にも迷惑かけずにタヒぬ方法」とか
「タヒんだ後の為の事前準備」
「周りに迷惑かけない自殺法」
とかですね…(笑)

 

検索してはあほらしく思えて
よかったと思います。

 

※自殺って迷惑じゃないように見えて
迷惑ですよ!※

 

こんな最低な自分でも
健康だけが最後に残された宝物でした。

 

血圧がちょっと低いではありますが
なんの持病も病気も発作も
ありません。

 

さて、地元に帰ってきた私…。
何もない。

 

いやホントなんもねぇ。

 

これだけ学費を注いでもらってきて
仕事のツテもない。

 

父が亡くなったので、
母を一人にはしておけないと思ってからは
完全帰国でした。
とはいえ、
自分は社会的にも大きく稼げるような人間でも
なかったため、どうするか。
できることと言えば

 

「そうだ。
また絵を描かなくちゃ。」

 

そう思い立ちました。

 

絵しかないじゃん。
私…
物心ついてから今まで何やってきた?

 

絵だ。

 

絵しかないだろお前には?なぁ?

 

「絵」で再復帰を決め込みました。

 

とはいえ。

 

とはいえ、

とはいえ…

 

絵しかないとはいえ、
…稼げない。…

 

地元に帰ってきて、アルバイトや
気の向かない会社員を続けて
なんとか食いつないできました。

 

だがしかし

 

仕事先で出会った人たちに何度か救われ…
人伝いで絵を描かせていただく事ができ…
ドッグランに呼ばれたり…
うちのワンコを描いてくれと
頼まれたり…

 

なんというおこぼれだろうかと思いました。
有難や…😿

 

しかしながら、定期的に売り上げを立たせることは
できませんでした。…

 

では、絵を教えるある講座に挑戦した事があって
「3ヶ月でイラストでフリーランスになれる」という物にも
どんなものかと思い、23万円課金しました。

 

実際お金を払って講座を受けた事があったんですが
教え方に全然価値を感じませんでした。

 

そういった講座は
「オンライン上で絵が学べる」
という価値提供です。
※詳しくは参加してみたい案件内でご自身が納得するまで相談しましょう!

 

3ヶ月でフリーランスは根拠がはっきりしません。

 

「フリーランス」って
自分で事業を回して行かねばならない。
という事ですよ…

 

貴方がもしどこかしら企業に
属していらっしゃって、
社会保険を払ってらっしゃる方は
会社がやってくれるからいいのですが、

 

個人事業主になったら
事業設置届から保険や税金等
治める手続きも
自分で申請して自分で支払いも
やって行かねばならないという事です。

 

できます?…

 

というか、まず
独りで30万くらいは稼がないといけない
環境作りをせねばなりません。
それを3ヶ月で?って私は考えますが

 

私ならほぼ無理です。

しかも、わたしは家族を失った時に
なんとか自分でお金を稼いでいく方法を
探していたらビジネススクールに出会って
そこで60万以上も課金しました。

さて、そのビジネススクールは
2018年あたりではどうやら倒産してしまったようで
私には何の連絡もなく…

もうもはや、ネットでも稼ぐなんて
できないんだ…悔しい…全然回収できない。…

と、諦めてはいたんですが
でも成功できている人もいるから
なにかないのかと探し続けていたら

謎の20代男性。
仕事が肌に合わず2か月のインターンシップで退職を決め
月110万を稼ぐメンタル弱そうな人を見つけまして…(すみません)

いままで起業している方って
なんか性格が強そうで、態度も大きければ声もデカイし
ビジネススクールでは私はビリの窓際族で
「こんな人達しかお金を稼いでいけないなら、私には無理なんだ」
とさえ思いました。

しかし、その謎の20代男性は
私とおんなじように売り上げガンガンだして
稼ぐぜ!!みたいなビジネスガチ勢界隈とは
縁が遠く

私みたいな世間では声が小さくて
営業もしたくもないし
この資本主義社会では絶対
役に立ってない人でも

なんでこんなに稼いでるんだと…

自分も自分が本当に好きな事を続けるために
お金は稼ぎたいと思っていて弟子入り。

もうすでにいくらか消耗して
本当に震えました。
でもこれでダメなら、もうネットで
ビジネスはやらない。そう決めて最後のチャンスと思い
決済に進みました…

「ビジネスは少ない客数を前提としてやっていく」

「インフルエンサーにならなくても方法があります」

「売るための方法がちゃんとあるので
売らなくても売れるやり方で結果をだす」

と言葉の一つ一つが求めていたものでした…。

もう全部、めっちゃいいじゃないですか(語彙力(笑))

私は芸術が専門でしたから
SNSでバズって人気を獲得していかないと
お金が稼げないと思っていたので
「そんな方法あるの?!」

と思って飛びつきました。

とはいえすでに
学費1000万以上かけた

 

…私はマーケターとしては弱いです。
これははっきり言っておきます。
だって、なにかしらクリエイトする人って
創作するだけで時間がないし
マーケティングと言われてもピンと
来ないからです。

ピンとこないってことは
才能ないって事なんです。

SNSはできるだけ最小限しか触れませんし

でも、こんな弱小マーケターでも
稼いでいける方法があるんだったら
やるしかないと思って思い腰を
あげたのがきっかけです。

要するに

「色々手を出さないでいい」
「やらなくていい事とやるべき事」が
ハッキリ見えてくれば
専門外の人でも稼ぐというのは
できるという事です。

お金を稼ぐというのは万人の人に共通しています。
それがたとえ文化人だろうが
お金が必要ない人っていないですよね?

ですから最小限これさえやっておけばなんとか
自分みたいな世間不適合な人間でも
営業トークができなくても
売れる知識があれば売れる。

っていう事を40万くらい
さらに身銭を切って勉強しました。死にそうです(笑)

それだけなら最低私でもできるのではないかと思い!…
なんとか私と似てる(?)
という人に価値提供できないかと
思って立ち上がってみました。

あ、冒頭でもお伝えしましたが
私は絵の描き方とかは教えていません。

で、絵を教える養成講座の先生になって
稼ぎましょう。という事でもありません。
(もちろんそれがやりたい人はできます。
ビジネスは価値提供です)

私がお伝えしているのは
コンテンツビジネスというやり方です。

このブログがちょっとでも
貴方のお役に立てれば幸いです。

それでは、またお会いしましょう。
長々と読んでくださった事に感謝します。

あきよねこさんはどんなビジネスでやってるの?
方法論やはじめかたが知りたい方は
¥1200の電子書籍が今なら0円でもらえる本で
学べます!よかったらアクセスしてとってみてくださいね★
※メルマガ登録後、案内がございます
登録後のメルマガが不要な場合はすぐ解除できますので
ご安心を★

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA