みなさんこんにちは!あきよねこです。(*’ω’*)
初めまして。よろしくお願いいたします。

簡単な経歴と実績です☺

・地元の高校を卒業後
上京して東京の外国語専門学校の英国留学科へ入学・卒業。
・イギリスはロンドンにある
アート&デザインカレッジ・ファインアート基礎課程修了。
帰国後、
大阪芸術大学 キャラクター造形学科 4年制過程卒業。
ゼミは首席で卒業。
他、通信制の絵画専攻の勉強もしました。

・沖縄生まれ→東京→イギリス→大阪→帰国して現在沖縄にいます(‘ω’)

依頼実績
・個人依頼による絵本「森のダンスホール/原作:旺礼」の作画担当/
そろそろAmazonにて発刊されるそうですので、発表されましたら
改めてお知らせさせていただきます(*’ω’*)

・医療解説本の挿絵担当:「あら! まあ! 楽になった 痛み和らぎ 病い軽減 これからは予防医療」

・商業施設内 内装/遊戯機械デザイン:那覇空港 あしびーにょ

・犬、猫のペットの似顔絵受注作品が10点程
・ドッグランにて速描スケッチ 50点以上
アイコン作成やホームページの挿絵へ50点程納品:現在クラウドワークスでは案件はとっておりません:
※ラウドワークスで案件を頂いた案件はクライアントのご要望/著作権引き渡し済のためURLはお伝えできません。申し訳ございません。

※作品はリンクが沢山あるので
別ページにまとめております。_(._.)_
観ていただけましたら幸いです→🌸作品🌸※準備中※

以上が簡単な経歴と最近の実績(実績は有料の物のみ記載)です。

知識をつければいいなら、
漫画描くより楽じゃない?



悩んでるなら早く勉強して
経済力つけて

またスタートしたらいい

自己紹介では、このブログの書き手が
どんな人物かわかるようになります。

お前はだれだ?どんな奴だ?
がわかるようになります。

冒頭からあれなんですが、

…だから なんだよ。 
って感じじゃないですか? 

恵まれてるお前の話なんか

聞きたくないって思いますか?

学校に行けたお前の自慢話を聞きたいんじゃねーんだ

こっちは。と思っていただいて構いません。

実はこんなに学校に通っていた私。

今頃たくさん絵の仕事を

やっていてハッピーな人生じゃないか?

と想像されるかもしれませんが…

私は自分が思ったより人生が
うまく好転しなかったんです・・

私は沢山絵の事について色んな学校で勉強してきました。
それこそ、通信で勉強したり、留学もさせてもらいました。

ありとあらゆる角度から絵に向き合ってきた人間です。

幸運にも、あれこれ勉強したい事は
両親には惜しみなく学ばせてもらった私。

もちろん、夢も当然絵に関わって生きていきたい。
そう思っていました。
だけど…

アレ?おかしいな。

卒業したら絵でどうやって働いていけばいいの?

学生の時は、一生懸命、学業に励んで
よい成績を収める。それが仕事でした。

でも、学校を卒業して…そう、そのまま画家、絵描きになる。

なんて思い通りの人生は用意されてはいなかったんです。

多分あなたはこう思うかもしれません。

「え?そんなに学校に行ったんだから絵で食べて生きてるんでしょ?」

もしかしたら、こう思う方もいらっしゃるかも知れません。

「当たり前じゃん。そりゃあ絵でどうやって食っていくんだよ」
「卒業したら絵を描くのは終わり。さぁ、
会社に入って会社のために朝から晩まで働きなさい。
そうして稼ぐのが人生だよ」

なんで、誰も教えてくれなかったんだろう?
そして私は何故気づかなかったんだろう。

当時大学を卒業した私は、すっかり社会にとって需要のない
学費だけ食いつぶした人間になっていました。
首席で卒業した割には行先がない…

できるのは絵を描く事だけ。

「お前がちゃんと稼いでくれると思った。
だから大学に出したのに」
そう両親から言われてしまいました。
家に居場所がなく、どうしようと
気が狂うほど焦った時期がありました。
私自身は美術界にはなんのコネも人脈もありません。

ええー?OBもOGの繋がりもないの?と、思うかもしれません。
ちなみに美術を専攻していた絵を描いていた同僚たちは
今でも絵を描いているのでしょうか?

わかりません。

彼等とも繋がってはいないのです。
行きたい学校に通わせてもらって
有意義な人生かと想像するでしょうが

私には絵から離れざるを得ない時期があったので、
絵を描いていない時期がありましたから
ずっと絵を描いていた。という事でもなかったのです。

この資本主義社会の中で
一人孤高でいても、

また絵を描こうとなんとか奮い立って
やっとこさ今に至るのが現在の私です。

大学卒業後の進路が
行き先暗雲すぎる。

私は、技術ばかりを学んできて

「売る」事を考えていませんでした。

当時は、技術さえしっかり足固めしていれば、

大学の先生の言う事に従えば

仕事なんてホイホイあるだろうと。

いやしかし、仕事にありつけそうなきっかけは

あるにはあったとは思います。

当時、まだ現在のようにネットが

あまり普及していなかった頃、

イラストをストックするサイトに

イラストを載せていたら

「是非うちのエステサロンで

使いたいから売ってくれ」

と電話がかかってきました。※2007年くらいの時。

今では考えられませんよね。

漫画を描いていたので

出版社に持ち込んだら

担当になってくれる方がいてくださったり

大阪は繁華街ビル内に事務所を持つ

経営者の方の目に留まって

私の作品を一式購入したいと

言ってくださる方がいらっしゃったり

仕事先で面倒を見てくださったかたに

行きつけの飲み屋に、店内に絵を

飾りませんか?とお声かけを頂き、

その絵がなんと売れたり・・・

小さいけれど、こうやって思い返して見ると

正直とりあえず反応がよかった方ではないか?

いや、お前は何をしている?

と客観的に見て本当にそう思います。

ああ、あの頃…コツコツ焦らずに

地味でもいいから周りと比較したり

結果を出すことに躍起になっていなければ

漫画界のヒカ〇ンになれてたかも

しれないのに…(なんて…)

もはや繋がりゼロ。。。。

と本当に私自身で自分の人生が

こんなにも思い通りにならないものなんだと

思わざるを得ません。

多分、縁がもしかしたら薄いのかと

思ってしまうくらいです。

「運が悪い」なんて

そんな見えない物のせいにするなんて

ダサいと。自分が一番よくわかっています。

文章で実績を書くと

意外と色々やってきてるな。と

思うのですが、

上記の出来事は

年単位でスポット依頼がくる程度

でしたので継続的に

絵がウケたという訳ではなかったんです。

絵で経済を回す事が本望だった私は

大分絶望の一途をたどります。

人間関係やこの社会でどうやって
生きて行けばいいか
摂食障害になるほど悩んだ。

当時、大阪の大学に入学して間もない頃、

食べては吐くを繰り返すようになっていました。

ストレスで無性に甘いものが食べたくなって

特に菓子パンを買い込んでは一気に食べて

自分で自分の喉に手を突っ込んで

吐く事を繰り返していました。

それが当時は人間関係との悩みに繋がっているとは

わからなかったのですが

今となってはそれが原因だったと思います。

鬱だと自分で気づかず、そのまま

ずるずると同じ行為が続きました。

私は自分が自分で嫌になるほど

プライドが高いくせにとーってもビビりでした。

人に嫌われる事が何より怖くて

目の前の一人一人から認めてもらわないと

気が済まないような、欲求不満に見舞われていて

とても苦しかった事を覚えています。

だから、先生達の話は有意義であった一方

どこか大変苦痛でした。

その言葉に絶対応えなくてはと

そうしたら夢は叶うからと信じていたのです。

両親も私を応援してくれていたので

絶対応えなくては、と意気込んでいました。

お金は山ほど稼いで

家は豪邸を建てて

自分にかけてくれた物を全部、

いや倍倍倍返ししたい気持ちでいっぱいでした。

だから周りの生徒たちを押しのけて

課題提出率、授業出席率100パーセントでした。

※あっ 押しのけてというのは

喧嘩した訳ではなく…「無理難題な課題」を提出したのは

私一人だった。という時があったという事です。

早く結果を出さないといけないと思っていました。

大阪の芸術大学に通い始めた時点で

私の学費は裕に1000万円を超えていたからです。

他の生徒達のようにちんたら学校生活を

送っている暇なんてないと思っていました。

だから、クラスメイトが飲み会や友達同士で

ワイワイ楽しんでいる間、

時間が足りないのではないか。と

思わせるような提出物も

私は絶対提出していました。

しなしながら、結果、自分が何かしら

大きい仕事に恵まれて自身の

経済を回すという事もできず、

人気のイラストレーターだの

画家だの、漫画家だのに

なれないでいた自分が

もう本当に、本当に許せませんでした。

こう思い返すとかなり恥ずかしい所がありますよね。

「誰か認めてよ!」

っていう承認欲求の塊でした。

気持ち悪いですよね。

20代だったから許されたのかな?笑

でも、当時は吐くほど苦しくてしかたなかったんです。

認めてくれない=私の存在がない

周りからすると
だいぶヤンデレです。

結果が出ない、頼るものがない苦しみ

いや親に頼ってるじゃん。と思いますよね。

確かに経済的な独立はまだまだでしたから

それは、頼らざるを得ませんでした。

親も私に

「学生はお金の事は気にしてはいけない。

学業に励みなさい。」

と応援してくれました。

精神面ではホームシックもなく

独り暮らしだからと、だらけてしまう

事もなく、常に自分を律していました。

だって、親に頼んで学校に通わせてもらったわけですから

自己管理とよい成績を納める事は必須です。

しかしながら実は留学生活を

1年半で引き上げた私は家では居場所がありませんでした。

「居場所がない」という事についてですが、

留学はとてもお金がかかります。

確かに私は入学できた大学で基礎課程は修了できたものの、

1年半だけでは実は留学は短すぎます。

語学というのも軽く3~5年は現地に滞在しないと

ネイティブのように扱う事はできないと思います。

【※3ヶ月で英語はできるよという広告も
ありはしますが、どうでしょうね。
現地の人のように英語が扱え、現地で働き、家を構え
車が必要なら持ち、もし結婚したら
子どもを育て、教育を受けさせることができますか?】

上に少し書きましたが

私はプライドが高いので

失敗を恐れてうまくコミュニケーションが

取れない自分を自分で許せませんでした。

ついでに、私はロンドン中の

美術館という美術館を巡って絵画を観ても

何も感動しない日々に陥っていました。

無感情です。

いつの間にか枕を涙で濡らして

引きこもる生活になってしまっていました。

絵を描く事で

絵を観る事でなんの意味があるのか?

という窮地に陥ってしまっていました。

不思議ですよね。

だって芸術留学って順風満帆なイメージありませんか?

だけど専門分野に進めば進むほど

壁に出会うものです。

留学生活では語学と絵の2方向で

壁にぶつかっていたのですが、

それを相談できる人は一人もいませんでした。

親に相談はしてみましたが

理解してもらえませんでした。

いや、相談できる友達は多分いました。

でも、泣き言は一切言わない。甘えない。

頼らない。相談しない。自立して

早く一人前になるんだ。と、元来のひとりでできるもん

魂が燃え盛っていた私が、誰に泣きつけるでしょうか?

当時仲良くしてくれた、ブラジル人の友達に

わんわん泣いて話をすればよかったのに。

一番遊んでくれた韓国人のあの子に

抱きつけばよかったのに。

しませんでした。

そうして私は一人で決めたんです。

一旦、日本に帰って出直さないとダメだ…。

そんな状況を親は許せなかったと思います。

せっかく海外に行ったのに。

せっかく多額のお金を出したのに

ああ、こいつは諦めたんだ。

と。

思われました。

だから親にはもうこれ以上

頼れないと思いました。

人生を大きく動かす出来事

私は大阪にいた時、同じく地元から

大阪に移り住んでいた友達から

宗教の誘いがあったんです。

それが大きな始まりでした。

あ、補足ですが私は

これを読んでくださっているあなたを

勧誘したりするつもりもありませんし、

もう繋がりはないと言っておきます。

私はプライドが高いという反面

誰の言葉も信じやすいという

二極端な所が何故かあります。

特に友達や先生等

関わる一人一人を大事にしたい。

そう思ってしまう所があります。

いいように聞こえますが

見境ない所があったのでアホです。

初めて会う人とも警戒心がないし

セールスされたら話は聞くし

人の話を断らないという人間でも

ありました。

そういう部分もあったから
かもしれません。

私の思い通りに行かない人生は

人間関係で躓きが多い事が原因である事が

わかっていたので

実はそれについて、深く知りたいとも

想ってはいました。

だからでしょうか、

まずは一旦絵を置いて、

宗教に身を置く事になった時期が

あったんです。

自分の好きな事/やりたい事は

自分という精神を正して

精神的に独立してからにしよう。

もう、承認欲求に追い込まれて

体を壊すのは嫌だ…

自意識過剰にさいなまれて

心が安定しないのは嫌だ…

自己中心過ぎて

傲慢に生きる生き方ももう

続かない…

だから、やりたい事は

後回しにしよう。

そう、思ってしまっていました。

気付けば5年以上経っていた。

上記に描きましたが

暫く絵から離れていたのは

宗教が関係していましたし

自分の精神的不安定さが原因でした…

私の狂った承認欲求である

認めてもらえないと傷つくプライドの高さで

追い詰められ

そんな自分を変えられるならと思っていました。

いや、それでも描けるだろうと思うじゃないですか。

でもですね…


そもそも自分が素晴らしい人間であるならば

人間関係に躓きはしないだろうし

人に認められないと納得いかないという

そんなに小さくて

自己肯定感を他人任せにする様な

稚拙で幼稚な煩悩で苦しむがはずがないと。

そんな人間が描いた物は

汚れているんだと、そのように思い始めて

絵からは離れざるを得ませんでした。

両親からは今まで学校に通わせてもらった

学費も時間も、今までのキャリアを

捨てるかのようだったでしょう。

積み上げた物を一旦据え置きするほど

私は生きる事に対してとてもとても絶望的でした。

承認欲求に枯渇した人間の苦しさは

分からない人には分からないのです。

だから、ネット上で「私を見て!」

「フォロワーが減った!」という嘆きを

私は心底理解できます。

しかしその枯渇は

どんなにフォロワー数が増えても

永遠に潤う事はありません。

フォロワーを追いかけた所で

何もないんですがね…。

突然ですが
家族が亡くなりました。

地元の母から急に電話が入りました。

お父さんが死んでしまったと。

急いで帰りました。

でも…もう父と話をすることは
できませんでした。

突然の事故でした。

高校を卒業してから

専門学校に通って一年半。

留学して海外で一人で暮らして

一年半。

地元から離れて、

大阪で絵を描いて自立したい夢を

追い続けてから10年。

・・・・・くらい前だった

かも知れません。

母の前でしたから泣く事もしませんでしたし

理解できなかったんだと思います。

虚無感半端ない再スタート

ちなみに宗教との関わりは

家族が亡くなってからは消滅…

私のこの数年は一体なんだったのだろうか。

大阪から離れました。

元々、人間関係、語学、

絵で足踏みしている最中に

親から蔑まれる目で見られ

さらに、自分の生き方に悩んだ末

親を亡くしてしまった。

宗教的な事ももう手を引く事に。

元々、親をとても心配させてしまって

どうしもようない罪悪感で

胸が張り裂けそうでした。

私はポッカリ心に穴が空いたようでした。

母も私が悩みの種でしょう。

「お前がいたから家は不幸になった」と。

生命保険を解約してまで

大学に通わせてくれた事を私は知りませんでした。

お前が美大にいかなければ

家を改装できたか

ベンツが買えたのに…

お前が美大に行かなければ

おとうさんとおかあさんは

自分のやりたい事ができたのに

夢を実現できない私は

疲弊してしまい。こんな事も思っていました。

「おかあさん、私はお金を持ってくる事ができない
人間なので、誰か稼ぎのいい子供を見つけてその人と
養子縁組でもして、家を建ててもらって
旅行や行きたい所に連れて行って
貰える子どもと一緒になったらいいんじゃないか」と

縁を切って

内臓でも売ったら

少しはお金になるかも?…

でも、臓器売買ってね…

二束三文にしかならないんだって…

いやいや
腎臓だって肝臓だって

必要だからついているんであって

なかったら病気になって死ぬ…

死ぬ…

ぶつぶつ…

タヒぬ…

空虚しかありませんでした。

死ぬという選択は

私には絶対絶対できません。

せめてもの救いかはわかりませんが

自殺をしても

苦しみが終わる事はないという

過去の学びが、私を変な薬や飛び降りから

守ってくれたと思います。

「誰にも迷惑かけずにタヒぬ方法」とか

「タヒんだ後の為の事前準備」

「周りに迷惑かけない自殺法」

とかですね…(笑)

検索してはあほらしく思えて

よかったと思います。

※自殺って迷惑じゃないように見えて
迷惑ですよ!※

こんな最低な自分でも

健康だけが最後に残された宝物でした。

血圧がちょっと低いではありますが

なんの持病も病気も発作も

ありません。

さて、地元に帰ってきた私…。

何もない。

いやホントなんもねぇ。

これだけ学費を注いでもらってきて

仕事のツテもない。

父が亡くなったので、

母を一人にはしておけないと思ってからは

完全帰国でした。

とはいえ、
自分は社会的にも大きく稼げるような人間でも

なかったため、どうするか。

できることと言えば

「そうだ。
また漫画を描かなくちゃ。」

そう思い立ちました。

思い立ちましたと言っても、
父が亡くなってから
7~8年は会社員と
派遣の仕事をポツポツやって

でも毎日に納得いかない…
私はこんな淡々とした日々を
過ごすために生まれてきたんだろうか…

っていうか、

漫画しかないじゃん。
私…
物心ついてから今まで何やってきた?

漫画だ。

「漫画」で再復帰を決め込みました。

だかしかし…

もう本当にね。

再復帰を目指すも

なかなかうまく行かない……

これだと思ってさらに
5年が経ってしまった。

やり続けるも、まだ出口が見えません…

漫画がまた描きたい。

そう思ってからは、描き上げて

編集部に持ち込みするもOKはいただけず…

難しいのは想像内なのですが

ただ続けるのには問題が。

時間がない…

もう、今回ばかりは本当に夢を離すわけにはいかない。

時間がないからといって、やめるわけにはいかない…

そして、
なにか…
なにかないのか・・!

・外で労働に時間が奪われなくても、
創作に時間をかけられる方法がないものか

・物販やせどりも色々触ってみたけど

売り上げがでず、時間ばかりが過ぎていく…

・このまま、うまくいかず社会や自分の過去を恨むのはもう終わりたい

安心したい

苦しい。

ネットビジネスのスクールに入ってみたりしたものの

なんの通知もなく、入ってから3年くらいしたら

倒産してました。【馬鹿やろー!】

60万はかかったのに…

ああ、こんな事なら

もっと他の事に使えばよかった…

後、ある講座に挑戦した事があって
「3ヶ月でイラストでフリーランスになれる」という物にも
どんなものかと思い、

実際お金を払って講座を受けた事があったんですが

そういった講座は
「オンライン上で絵が学べる」
という価値提供であっただけ…。

22万円消えました。

※詳しくは参加してみたい案件内でご自身が納得するまで相談しましょう!

3ヶ月でフリーランスは根拠がはっきりしません。
「フリーランス」って
自分で事業を回して行かねばならない。

という事ですよ…

貴方がもしどこかしら企業に
属していらっしゃって、
社会保険を払ってらっしゃる方は
会社がやってくれるからいいのですが、

個人事業主になったら
事業設置届から保険や税金等
治める手続きも

自分で申請して自分で支払いも
やって行かねばならないという事です。

できます?…

というか、まず
独りで30万くらいは稼がないといけない
環境作りをせねばなりません。

それを3ヶ月で?って私は考えますが

私ならほぼ無理です。

通信教育に150万

留学や私立大学での学費1000万。以上…

なんで、どうして?
こんなに勉強しても社会では稼げない。
これ、私が悪いの?

生きていくのにお金が必要なら
どうしてそのお金を稼ぐ方法は
学校で教えてくれないんだろう。

酷いよ

当時の恨みメモが残ってます。

貼り付けときます。


私は今まで漫画家の先生の仕事と
仕事の斡旋は
別だと気付かなかったんですよね。

私は芸大に通い、留学までさせてもらったので
2千万越えは学費にかけてもらったのですが
日本が教育ビジネスで結局、

儲かるのは大学で学生はお客さんだったので 
本当に両親には申し訳ないと思っています。
でも大学が悪いとか国が悪いとか
言いたいわけではなく、

そういうビジネスで成り立っているんだと
知っていたら…

「学校は私の将来なんてどうでもいいんだ」

と気付けたのになぁと思って
本当に残念で仕方ないです。

昔の話ですが…
専門学校を卒業間近になったら

就職のサポートって学校側もしてくれるんだよね?
と父が私に尋ねてきたときに、

学校側はそこまで関与はしないよ。
と言ったらすごく残念がっていました。

学校はお金が必要で生徒の
将来はどうでもいいのです。

○○芸術大学に
通わせていただきましたが、

未だに○○芸術大学所属専門美術学校
なんとか理事○○発行の小冊子が
自宅に届くのですが

ゴミだと思ってます。

こんなものに使うなら学費をそんなに
取る必要があったのかとさえ思います。

本当に死にたいです。


芸大は本当にお金がかかります。

もう、これは

勉強しないとダメだ。

気持ちは重いがそのままではいられない。

私はただ、幸せになりたいだけなんだが・・・。

私はただ、両親に恩返ししたいだけ

私はただ大切な物を守りたいだけ…

だから経済の流れを勉強するなんて

畑違いもいい所ですが

そんな事は言っていられない。。。。

そんな時に、

・誰でもできる
・自分の得意な事でネット上で仕事ができるお店を設置する。
・準備はいらない
・学歴、年齢関係ない
・自分の代わりにインターネットに動いてもらう【自動化】

これしかないかもしれないって思いました。

それで私は決意しました。

もう、これで最後にしよう。

お金ももう、かけられない。

時間もかけられない。

正社員で自分の一日の時間の

3分の2が奪われる毎日を送って

漫画描けないくらいなら

この世とは縁を切りたい。

ビジネスというのは知識です。


美大卒生がマーケティング?ビジネス?

は?絶対わけわからん。無理だし

算数なんて小学生の時に諦めたし

基礎ができなかったから

中学校高校でずっと数学は赤字だったし

そんなの尚更

絶対難しいに決まってる

わたし雇われ労働だし…

経営?絶対死ぬほど難しいいいいい!

そう思っていました。

ただ…

気付いたんです。

絵を描ける人は描けない人に対して

絵を描けるノウハウや知識、経験がある。

ビジネスと創作を同じにするのは

ちょっと違うのですが

結局知識がないからできないのと同じで

ビジネスは「知識ゲーム」だよ。

そう教わってからは

「ああ、ただ知らないだけなんだ」

だったら、知って行けばいいじゃん。

やったことない…

じゃ、やればいいじゃん。

最初からうまくなくていいよ。

そんな人、むしろいませんから。

何度も何度もバッターボックスに立って

球が打てる迄打ってみたらいい。

たまに、最初からいい成績がでても

長続きはしない。

運に頼らない、地面に足をつけた

資産を作る。

確実に。ゆっくりだけど、着実に結果がだせるなら

まだ道があるなら

最後だと思って頑張ってみよう。

時間はなくてもあってもいいではいけない。

時間は確実に

創作をするための時間確保が圧倒的に必要。

私は外での仕事が嫌いだと言っているわけではない。

もちろん、会社員だって、パートタイムだって

社会を支えるお仕事です。

でも、自分がすべきことは何?

自分も同じ、正社員をやってて創作できるの?

そんなわけない。

やる事が2倍3倍増えて

脳みそがキャパオーバーで絶対持たない。

ビジネスは難しいという概念

これは、私達日本人は大体こう思ってるはずです。

特に反対畑のアーティスト勢。

でもですね…

海外に目を向ければ

アーティストが兼業でビジネスをしているのは

普通です。

お金の話はきたない。とか

汚いとか汚くないとかの前に

現実的にきついんだが…

そんな悩みも許されないと言う、この

常識の方がおかしすぎるだろ。

正直私はもう決めました。

自分で稼ぐ事を学ぶしかない。

だから私は学びました。

汚いって言われても

どうせ、お金目的だって

言われても

大切な家族を守りたい。

大切な家を守りたい。

それで、お金を稼いで「汚い」と言っている人は

恐らく、稼がないでもお金に余裕がある人なんでしょう。

美大生だろうが売れないクリエイターだろうが
認められない漫画家だろうがなんでもいい。

凡人だからって勉強してはいけない理由はないと思います。

知識をつければいいなら、
漫画描くより楽じゃない?

漫画を描く方が圧倒的に大変だと
私は思います。

いや、漫画も猛烈に大変なんですけど

油絵でもいいんですけど

まぁ、漫画で商業作品だと制作に制限時間が必要だから

そんなに時間がかけられないのですが

油絵なんて1点に2年も3年もそれ以上かける人もいますから

しかも漫画だろうが油絵だろうが

お金になるかどうかはまた別ですし。

悩んでるなら早く勉強して
経済力つけて

またスタートしたらいい

地元新聞社で漫画大賞を受賞した時の写真

賞をとっても、まだまだ頑張りたい。

やれることがあるなら、諦めないで頑張りたい。

あなたもきっとできるはず。

知識を入れて
素直に行動する。

それだけでまずは人生スタートできるなら

こんなに楽な事ない。

ここまでこの長文を読んでくださった
頑張り屋さんのあなたなら

できると思います。

何かに打ち込んであきらめたくない事があるなら

追いかけるべきだと思っていますし

応援してます。

PS.

今回は自己紹介との事で

私の身の上ばかりをお話いたしました。

しかしながら、あなたも何かしら

悩んで、やりたい事があるのに

何か方法がないのか模索されていらっしゃるのなら

メルマガという形で ビジネスサークルを運営してますので

情報をとってみてください。

ビジネスサークルと言っても

超絶やさしいびじねすです。

優しくないとわかんないんで、私。
すぐ理解できないし。

絵しか描けないやつだし。

自分でもわかるように色々言ってるメールマガジンです。

だから、普通に外でパートタイム、正社員の方で働かれてる方が

できないなんておかしいレベルです。

毎回1000文字から3000文字くらいで

インスタ見る感覚でさっと読めちゃいます。

無料です。(*’ω’*)
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